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アメリカで本格的な食堂車が登場したのは

アメリカで本格的な食堂車が登場したのは1860年代である。それ以前にも供食設備を持つ客車は存在し、列車内における食事の提供は1830年代から行われていたようだが、継続的なサービスに繋がっていなかった。この時代、駅や車内では物売りが果物や軽食を販売し、食事時には食堂のある停車駅で食事のための停車時間がとられていたので、車内での飲食を望む優等旅客はそれほど多くなかった。

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このような事情から、初期の食堂車のほとんどは、客車の一部を食堂とした小規模なものであった。寝台車サービスで有名なプルマン社は1868年に全室食堂車「デルモニコ」を建造したが、これは例外的な存在であった。プルマン社は優等旅客への供食サービスにも力を入れていたが、その主役はホテル・カーと呼ばれる厨房付きの寝台車で、食事時には座席にテーブルが据え付けられ食事が提供された。

全室食堂車が流行したのは1870年代後半で、東部や中西部の鉄道会社はこぞって食堂車を建造し、コース料理の提供をはじめた。この傾向は貫通路が開発され、車両間の移動が簡単になったことで加速し、19世紀の終わりには長距離列車には食堂車の連結が当たり前となった。

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2009年09月02日 02:27に投稿されたエントリーのページです。

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